京都の金型メーカーを仲介したときのお話しです。この会社は年商3億円、従業員16名の中小企業ですが、安定的に5,000万円~6,000万円の経常利益を出している優良企業でした。
この会社の社長と専務は、ともに昭和13年生まれで、株式も50%ずつ所有し、役員報酬も同額、車も同じくレクサスという仲良しコンビでしたが、社長の息子は介護関係の会社に就職しており、専務の息子は大学の准教授になっており、後継者がいないという理由でM&A(株式譲渡)されました。
この会社は特殊な素材で金型を作っており、その分野ではかなり高いシェアを持っていましたが、マイナス面はメインの得意先(A社)に売上の70%が集中していることでした。このA社との取引は、3年前はもっと少なかったのですが、その業界でA社が勝ち組であったため、他社をどんどん買収していった結果、自然に売り手企業との取引額も増えていきました。
売り手企業は、A社に依存することが営業面では楽という反面、もし、取引が解消された場合の倒産リスクは高まっていました。そこで、更なる得意先を海外に求め、中国企業との取引額も年々増加傾向にありました。
注目すべきは、金型の中国での販売価額が国内での販売価額より1割ほど高かった点です。
中国企業は、売り手企業の技術力を高く評価して取引してくれていました。
買い手は、大阪のエレクトロニクス関連の検査部品メーカー(年商約30億、従業員は海外子会社を併せると300人)でした。この会社は、製品1個から短期で作成するというポリシーで、業績をどんどん伸ばし、その業界では2位となっていました。
私が、初めてこの会社を訪問したときの第一印象は、本社工場がきれいで、会社の周りもよく掃除されていたことと、従業員の皆さんが全員気持ちよく挨拶してくれたこともあり、「きっとすばらしい経営者に違いない。この会社が売り手企業を買ってくれれば、売り手企業もより活性化し、もっと利益の出るいい会社になるに違いない」というものでした。
M&Aの交渉を進めていく途中で、売り手の社長と専務は、私の第一印象と同じ考えを持っていると教えてくれました。
買収目的は、収益の柱をもう1つ持ち安定的な収益の確保をするためでしたが、買い手社長は、同じメーカーとして、売り手企業の精密技術を固く評価しており、M&Aを通じて、従業員のレベルもアップさせたいと考えられていました。
A社にとって、売り手企業はメインの下請け先であったため、売り手も買い手もM&A発表後のA社の反応が気になっていたのですが、売り手企業の役員交代と丁度同じタイミングでA社の組織再編があり、取引についてはほとんど影響がない状態で、引き継ぎができました。
売り手企業の社長と専務は、私の父と同じ昭和13年生まれで、私には自分の子供を見守るようにやさしく接してくれ、大阪でも毎月定例飲み会をしてくれていたので、この案件が無事成約してほっとしました(*^_^*)